プロフィール

Profile

三浦直樹(みうらなおき)/ 株式会社PEOPLE 代表取締役
1978年東京都生まれ。典型的なO型。

2012年のある日、仕事から帰ったら嫁が消える。失踪。すったもんだがありそのまま離婚。
その時の反骨心で「金持ちになって後悔させてやる!」と決意。

そして、その3ヶ月後に母親をパーキンソン病で亡くす。色々な意味でこの1年で人生が急転。
約半年間に渡る母の介護生活の経験から、人の健康や身体に携わる仕事に就きたいという想いと、高収入への憧れでサラリーマン生活に終止符を打ち、修行期間を経てスポーツトレーナーに転身。

2014年、東京・中目黒に整体院&パーソナルトレーニンングのお店を開業。

しかし、開業間も無く想定していたほどお客さんが来ず、このままでは高収入はおろか生活もままらないと危機感を抱く。

その後、集客・経営・マーケティングを猛勉強。
その甲斐あってか、開業半年後には月商7桁超えを達成。予約が2ヶ月待ちになる店舗へ成長。

その結果、「ビジネスとはなんなのか」「ビジネスで大事なのは何なのか」「ビジネスの本質とはなんなのか」に気づき、そこで得た経験や知識、スキルを世の中の他のトレーナーやインストラクター達にも”シェアしたい” “経営者としての可能性を引き出したい”と志し「ナオキコンサル」を立ち上げる。

経歴

毎日のように歌舞伎町を徘徊

トップ営業マン時代(2005年~2007年)

僕は学生バイト時代も含めて大学卒業後もずっと飲食業界にいました。

大学卒業後は、カフェをはじめ、レストランや居酒屋など様々な業態の店長を務めていました。

当時働いていた居酒屋なんかは、お昼の12時に出勤し、翌朝の5時に帰宅する(しかも休みは3ヶ月に1日ほど)という、今の時代で言うところの超絶ブラック会社にいたこともあります(笑)

しかし、その当時は「将来、カフェを開いて独立したい!」という夢が僕にはあり、”全てが人生経験で修行のうちだ!”と思って、体に鞭を打って日々頑張っていました。

居酒屋に務めていた当時は、疲労で10kgも痩せてしまい、精神的にも病み始め、久しぶりに会った友人に「お前、人間変わったな」なんて言われてしまい、「はっ!」と我に帰り「このままじゃいかん!」と思い、転職を決意して、とある営業会社へ転職しました。

将来、経営者になるなら営業も経験しておいた方が良いかな?

という軽い気持ちで営業を始め、向いていなかったら直ぐに辞めて飲食業に戻ろうとも思っていました。

内容は法人相手にOA機器を売るという営業だったのですが、やはり最初はなかなか契約が取れず悩んでいました。

そもそもお客さんは欲しがっていないし、そんなに売れるものではない商品を無理やり売らなくてはいけないというお仕事です(笑)

営業先から「契約取れませんでした・・・」と上司に報告の電話を入れて、もの凄い罵声(脅し?)を浴びせられ涙を流したこともあります。

はい、ここも超絶ブラック会社でした(笑)

しかし、負けず嫌いの僕は、3ヶ月を過ぎたくらいか”営業という仕事のコツ”を掴み、1年後には事業部のトップ営業マンになりました。

当時の給料は基本給+歩合給だったので、良い時で月収100万円を超える時もありました。

この時がサラリーマン時代としては一番バブリーな時期でした。

夜の遊びもこの時代に一通り覚えました(笑)

人生で一番のモテ期?

カフェ店長時代(2007年~2012年)

西新宿のオフィス街をスーツ姿で疾走していた、そんな営業職時代を経て「やはり飲食業界に戻りたいな」と思い、

カフェを数店舗経営している会社(今では業界最大手にまで大きくなりましたね)へ転職しました。

当時、トップ営業マンになってしまったが故に、なかなか会社を辞めさせて貰うことができずに「辞めます」と言ってから

実際に辞めるまで1年かかりました(笑)

なので、最後の方は平日は営業職、週末は転職先のカフェでバイトなんていうハイブリットな働き方をしていました(笑)

ようやく念願のカフェへの転職を実現し、そこから長いカフェ店長時代へ突入します。

自称カリスマ店長として、店舗運営の基礎や接客スキルを培ったのもこの時代があるからだと今は思っています。

当時、僕の下でアルバイトしていた子達とは、今でも仲良く遊んだりして長い付き合いが続いています。

店舗内カップルもたくさんいたし、そのまま結婚したカップルも数組います。

よほど僕は良い空間・空気を作ることに長けていたんだと思います(笑)

店舗売り上げも社内全店舗中トップを獲ったこともあります。

それでも、”自称”カリスマ店長は自称のままでした(笑)

そして、当時はなぜかカフェ店員てモテたんですよね。

1ヶ月に1回以上は、お客さんからメアドを渡されていました。

この時期が公私ともに一番ノリノリな日々を送っていましたね(笑)

人生のターニングポイント

フィットネススタジオ運営時代(2012年~2013年)

カフェの店長職にも飽きてきた頃、会社がカフェとフィットネススタジオを併設した、新しい型の店舗を出店することになり、

もともと体育会出身で(高校時代はサッカー部でインターハイ優勝経験あり)、当時もカフェ店員でありながら、趣味がランニングや筋トレだったこともあり、なんか面白そうだな~と、迷わずその店の店長に立候補しました。

そこでは、今までの接客業とは違い、殆どがフィットネススタジオの運営管理やイベント企画という仕事内容に変化していきました。

今でも繋がりのあるインストラクターさんや業界関係者は、殆どその時に繋がりを持ったと言っても過言ではないくらい、「人との出会い」に恵まれた職場環境でした。

ただ、この当時に人生を変える大きな事件が2つ起こります。

  1.  離婚

    僕は2009年に結婚をしたんですが、3年後の2012年に離婚をしました。

    帰ったら嫁がいない・・・。残されたのは僕と愛犬のみ(普通、愛犬を放置して出ていくか!?)

    その後、夫婦間の話し合いもなく半強制的に離婚させられる。

    まあ、結婚生活の3年間は炊事・家事・洗濯の全てを僕が賄っていたので、生活自体に変化はありませんでした。

  2. 母親の死

    無事に?離婚を果たした3ヶ月以後、母親が倒れます。病名はパーキンソン病です。そこから半年ほど、仕事が休みの度に介護の為に実家へ帰るという、慌ただしい日々を送っていました。

    ちなみに当時の記憶は殆どないくらい、怒涛の日々を過ごしていました。

    そして、その年の年末に母は亡くなりました。

    この2つの出来事を転記に僕の人生は大きく動いていきます。

始まりのスタート地点

修行時代(2013年)

介護生活を送っていた時の事です。

病院で母が理学療法士さんから、身体を動かしたりストレッチしたりのリハビリを受けている姿を見ている時に、ふと思ったことがあります。

「この仕事、俺にもできるんじゃね?」

フィットネススタジオで働いている時も、漠然と「スポーツとかフィットネスとか、人の健康や身体に携わる仕事も良いな~」なんて思ってました。

この想いとリハビリを受けている母の光景がリンクして、一気に仕事をシフトチェンジしていきました。

離婚もしていたので、背負うものは何もなかったですからね(笑)

色々と調べた結果、今から国家資格を取るのは厳しい・・・

でも、民間のスクールだったらイケそうだなと思い、会社を辞め整体スクールに通い始めました。

同時に、当時は所謂ランニングブームの火付けの時代だったこともあり、勤めていたフィットネススタジオのお客さんから「ランニングを教えてくれる人はいないの?」という声をたくさん頂いていたので、スクールに通う傍ら、フリーインストラクターとしてランニングの指導も始めてました。

それと、渋谷にある老舗某有名パーソナルトレーニングジムで、パーソナルトレーナーとしての修行も始めました。

他にもストレッチサロンでバイトしたり、当時はただひたすらに技術や知識、経験を身につけるためにがむしゃらに動いてました。

整体スクールも努力のかいがあり、通常2年間通うのがスタンダードなところを、僅か半年で卒業。

これに関しては、自分にセンスがあったとしか言いようがありません(笑)

そして、スポーツトレーナーとして、自分の整体&パーソナルジムを開業し経営者としての一歩を踏み出しました。

成功の裏には必ず失敗・挫折あり!

独立・開業時代(2013年~)

店舗を構えた場所は、東京・中目黒。

開業後に知ったのですが、中目黒という土地は恵比寿と並んで日本でも最激戦地区です。

大手から個人店まで、もの凄く多くの競合店が乱立しています。

なぜ中目黒にしたかというと、当時はたまたまそこの物件しか借りることができなかったんですよね。

僕はもともと父親もいないので、両親がいなく保証人はいないし、新規事業だし・・・と。

周りからは結構、順風満帆に見られがちなんですが決してそうではなかったんですよね。

当時は、お店をオープンすれば、ホームページを作れば勝手にお客さんは来ると思ってましたし(笑)

待てど暮らせど、お客さんなんか来やしないです。

それに、土地柄か多くの詐欺まがいの広告商材やネット集客商材も買わされましたし・・・。

結構、波乱万丈なスタートアップを経験しました。

ただ、僕は早めに気づけたんですよね。

「このままじゃダメだ!」
「経営をもっと勉強しなきゃダメだ!」
「集客をもっと勉強しなきゃ!」と。

マーケティングのマの字も知りませんでしたが、そこからめちゃくちゃ勉強しました。

そして、店舗の月の売り上げは、

9万、20万、40万、80万、90万、120万と開業半年で大台に乗せる事が出来ました。

ちなみに個人での最高月商は160万です。

僕の事業形態で、しかも1人で売り上げる数字としては悪くない数字だと思います。

普通は、そこからスタッフを雇ったり店舗を拡大したりを考えると思うんですけど、なぜか僕はそっちにはモチベーションが向かなかったんですよね・・・笑

人生の勝算を感じる

ランニング事業時代(2015年~)

実は、2014年からReebokとトレーナー契約を結び、ReebokOneアンバサダーとしても活動しています。

主にランニングイベントなどでトレーナーなどをしています。

2017年からは、ホノルルマラソンのTBS番組に出演するタレントさんの専属トレーナーなんていう貴重な経験もさせて頂いています。(余談ですが、こういう露出の多い仕事をすると元カノとか疎遠の女友達から連絡がくるんですよね。もちろん僕はオールスルーをかましています 笑)

そんな活動の中で、ランニングをスポーツ科学や機能運動解剖学の観点から、”きちんと指導”できる人材って、世の中にまだまだ少ないな~と思い、だったら育成しよう!と、2015年にJRTAを設立してスクール事業を始めました。

自分の店舗運営の傍ら、月に数回セミナーを開き「ランニングトレーナー」を養成しています。

そして、自分のお店の開業に伴って休んでいたパーソナルランニングレッスンのコンテンツも2年ぶりに再開。

これは、事業を再開した初月に80万円を売り上げました。

実店舗を持たない出張型、且つ店舗運営をしながらの時間的・物理的制限がある中での売り上げなので、相当良いかな?とも思っています。

この時、僕の持っている経営やビジネススキルの自信は確信に変わりましたね。

このプロジェクトへの想い

今(2018年~)

そして現在・・・

僕は母の死をきっかけに、人の身体や健康を通して「世の中の人々のライフスタイルを豊かにしたい」と思い起業しました。

おそらくこれを読んでいる”あなた”も、何かの”キッカケ”があり、同じような志を持っているかもしれません。

しかしながら、多くの同業者は道半ばで挫折してしまうと聞いています。

その理由は、集客ができないが故に倒産、廃業・・・

僕の知り合いには、本業で稼げないが故に、ネットワークビジネスの道を選んだトレーナーもいます・・・。

今は、3年で8割の個人店が潰れてしまうと言われている時代です。

なぜか?

それは、殆どのトレーナーやインストラクターは”ビジネスや経営を学ぶ機会がない”から。

技術や理論は学ぶのに、それを”世の中の人たちに伝える術”を学んでいないのです。

僕の経験や知識がそれらを補填できるとしたら、それは間接的に「世の中の人々のライフスタイルを豊かにできる」と感じています。それも、僕一人で頑張るよりも遥かに大きな力で。

今後は、あなたのようなトレーナーやインストラクター達の”経営者としての可能性”を引き出す事が僕の志命かなとも思っています。

あなたのような、独立・起業・開業しているトレーナーやインストラクターさん達が、夢半ばで諦めざるをえない状況に陥らないように、集客や経営の悩みを一緒に解決していきたいと思っています。

それが、今後の僕の目標であり夢でもあります。

僕の活動が、あなたの人生を変えるきっかけを与えられたら幸いです。

最後まで、長いプロフィールを読んで頂きありがとうございました。